世界に学び、地域へかえ
家庭医療の明日のために

葛西 龍樹かっさいりゅうき
世界家庭医機構(WONCA)マスター・ファカルティー
英国家庭医学会 最高名誉正会員・専門医(FRCGP)
福島県立医科大学 名誉教授(家庭医療学)
北海道家庭医療学センター 初代所長

カナダでの学びを
日本の家庭医教育の基盤に

私が1990年から2年間の研修をしたブリティッシュ・コロンビア大学(UBC)は、地域を基盤とした家庭医療専門研修プログラム(レジデンシー)で人気でした。私も、UBCのレジデンシーを紹介するカナダ家庭医学会雑誌の論文 (注釈1)に出会ったことがUBCに応募した決め手でした。
BC州だけでも日本の約2.5倍の面積があるのに、人口は北海道とほぼ同じ。いかに人口密度が低いかわかるでしょう。そうした環境でありながら、バンクーバーのような都市部にも、北部のヘーゼルトンのような人口数百人の村にも、質の高い診療と教育を提供する家庭医がいて、UBCのファカルティーとして機能していました。こうしたさまざまな地域のセッティングで家庭医療を研修することが、将来、日本でレジデンシーをつくる上で大いに参考になると考えていました。
さらに私にとって大きかったのは、カナダの——そして「世界の」と言っても過言ではないでしょう——「アカデミック家庭医療学の父」、故イアン・マクウィニー先生がいらして、カナダの家庭医療レジデンシーの大きなバックボーンであったことです。

撮影協力:Orient Cafe
https://www.koiwaifarmdining.co.jp/brands/orientcafe/

当時、カナダ家庭医学会認定レジデンシーのカリキュラムはとてもシンプルで、下記の4項目からなる、到達目標とも家庭医の定義ともいえるステートメントがあるのみでした。 (注釈2)
「家庭医は熟練した臨床家である」「家庭医療学は地域を基盤とした専門分野である」「家庭医は定義された診療対象地域住民にとっての資源である」「患者-医師の人間関係が家庭医の役割の中心である」
でも、指導医たちはこれについて話した後で、私たちレジデントに向けて「もちろん、マクウィニー先生の『A Textbook of Family Medicine』 (注釈3)は読んでるよね」と付け加えたものでした。この本を読まずに家庭医になることは考えられなかったのです。
ですから、1992年、特別な許可を得てウェスタン・オンタリオ大学(現ウェスタン大学)を訪れ、マクウィニー先生からマンツーマンで家庭医療学を学んだ4週間の経験は、間違いなく私の人生のハイライトの一つです。その様子は『ドクターズマガジン』 (注釈4)に詳しく書かれています。
当時は、1995年に出版されることになる『Patient-Centered Medicine: Transforming the Clinical Method』 (注釈5)の初版を準備していた時期だったと思います。その「方法」を図でどのように表すのかをめぐって、講座のファカルティーたちが熱いディスカッションをしていたのを覚えています。その中には、モイラ・スチュワート先生とジュディス・ベル・ブラウン先生もいらっしゃいました。その後も、彼らといわば兄弟弟子のような関係で家庭医療学を学べたことも、私にとってかけがえのない経験です。

今年(2026年)はマクウィニー先生の生誕100周年です。9月16日にウェスタン大学で記念フォーラムがあり、私も妻と出席します。マクウィニー先生から家庭医療学を学んだ人たち、そしてマクウィニー先生の2人の娘さんたちと再会することを楽しみにしています。生涯、人間的な家庭医療学を追究したマクウィニー先生が遺してくれた人々の交流の輪は、温かく人間的です。
このように36年前、カナダではすでに家庭医療学が独立した学問分野として存在し、地域を基盤とした質の高い家庭医療レジデンシーがあり、そこではコアとなるアプローチとして「患者中心の医療の方法」が形づくられつつありました。それは日本にいては見えなかった世界でした。だからこそ私は、その考え方と教育の仕組みを日本へ持ち帰り、家庭医療を学べる環境をつくりたいと思ったのです。

帰国後、日鋼記念病院理事長だった西村昭男先生との再会をきっかけに、先生の理解と強い支援を受けて、1996年に北海道家庭医療学センター(HCFM)を開設しました。夢の実現への第一歩でした。英語の名称「The Hokkaido Centre for Family Medicine」は、マクウィニー先生に命名してもらいました。
当時、日本にはまだ家庭医を育成する取り組みはほとんどなかったため、家庭医を志す優秀な、そして勇気ある若い医師たちが全国各地から北海道に集まりました。
一方で、日本の医学界では、まだ臨床教育そのものが十分に重視されていない時代でもありました。先輩医師の背中を見て学ぶことが当たり前で、体系的な臨床教育や専門研修プログラムという考え方はほとんど浸透していなかったのです。
だからこそ、創設期の研修医たちの苦労は、相当なものだったと思います。周囲から「家庭医療って何?」「臨床研修って何?」といった疑問を投げかけられることも少なくなかったでしょう。
私自身、過剰な役割を背負って多忙を極めていたこともあり、彼らのそばにいる時間は限られていました。そのため彼らは、逆風の中で、自分たちの言葉で家庭医療や臨床教育の必要性を周囲の人たちに説きながら、研修を続けていかなければなりませんでした。

HCFMの発展へ
変わらぬ願いと期待

HCFM誕生から10年後の2006年、私は北海道を離れ、福島県立医科大学へ赴きました。
その決断は簡単なものではありませんでした。もちろん、HCFMに残り、その発展のために働き続けたい気持ちもありました。しかし一方で、地域を基盤とした家庭医療の診療・教育・研究拠点をもっと全国に増やしたいという思いもありました。
そのためには、地域を基盤として学び・診療し・教育する家庭医療指導医の集団を各地につくる必要がある。さらに、カナダのように大学がイニシアチブを取り、卒前から卒後まで一貫した家庭医療教育を担う仕組みも必要だと考えました。大学病院という3次ケアの場を家庭医の教育に使うのではなくて、あくまで地域を基盤として取り組む。それが日本の大学でもできないだろうか。そこに挑戦したいと考えたのです。
もう一つ、HCFM創立から10年でキャリアの転換をするべきか悩む私の背中を押したのは、「EBMの父」とも称されるカナダ、マクマスター大学のデービッド・サケット先生でした。彼と私は、かつて英国医学雑誌『The BMJ』の編集委員会で同僚でした。そのサケット先生の思い出は、『Wedge ONLINE』に連載している『家庭医の日常』で紹介しています。 (注釈6)
サケット先生は「10年間エキスパートをしたらそれで辞めるべきだ。さもないとエキスパートの意見が重視されすぎて、新しい考えが育たない」として、1999年に「今後EBMについての講義も執筆も研究も一切しない」と宣言して有言実行、その通りにしました。
一定の仕事を成し遂げた人がそのポジションに長く居続けると「権威」となり、後進の活躍の機会を奪ってその領域の発展を阻害するリスクがある。それを防いで真にその領域の発展を望むなら、次世代を担う人たちに活躍の機会を与えるのだ。そのことをサケット先生から学んだのです。

北海道を離れても、HCFMへの私の思いは変わりませんでした。それは、発展への願いと期待です。
HCFMの価値は、日本で家庭医療専門医の育成を、ブレることなく継続してきたことにあります。「患者中心の医療の方法」にリスペクトを払い、地域を基盤としたプログラムで、グローバルスタンダードの専門研修を目指して、努力し続けてきました。現在、日本プライマリ・ケア連合学会が「新・家庭医療専門医制度」といういわば上級の専門研修プログラムを提供できるのも、そのモデルとなるプログラムをHCFMが脈々と続けてきた功績抜きに語ることはできないでしょう。

だからこそ、30年前から10年間、HCFMの創成期の運営に関われたことに、私は深く感謝しています。多くの人との出会い、そして数え切れないチャンスとの巡り合わせ。それらはまさにセレンディピティとしか呼べないタイミングで訪れました。
共同創立者の西村先生は、かつてこう語っていました。

「私は何事もシンプルに考えている。この病院の問題は日本の病院に共通した問題。医療は人類全体の財産であり、ここ室蘭で改善に取り組むことが北海道、日本、世界へつながる。家庭医療学センターについては採算性はあまり考えていない。今わが国に必要なのは家庭医療学を研修する場であり、ここが日本におけるひとつの出発点になってくれればいい」 (注釈7)
西村先生が日本の医療の欠点を様々な角度から精査して、必要な改革を自らの医療施設で率先して着手したことは称賛に値します。今の日本の医療施設、医学医療系の大学・機構・団体などのトップに、西村先生ぐらいに本気で日本の医療を良くしたいと願って行動する人がどれだけいるでしょうか。

困難の先に
新しい景色がある

これまでの30年を振り返り、これから将来に向けてHCFMにさらに期待したいことの一つは、世界の家庭医との顔の見える交流です。
HCFM開設以来、世界家庭医機構(WONCA)の学術大会があるたびに、私はレジデントたちを連れて参加しました。世界各地で家庭医療の実践は異なっていても、その根底にある原理原則は共通している。そのことを、自分の目で見て実感してほしかったからです。
HCFMが日本の家庭医療を牽引する存在となった今だからこそ、世界の仲間たちとのつながりは、さらに重要になってくると思います。国内外の実践を学び、国際的な視点から今の自分たちの立ち位置を知り、次の行動につなげる。そうした能動的なベンチマーキングをぜひ実践してほしい。WONCAは、そのための大きな資源です。
2029年には、草場理事長が大会長を務めるWONCA世界大会が京都で開催されます。これを機に、世界の家庭医とHCFMの交流がさらに深まることを願っています。

もう一つHCFMに期待したいことは、研究です。プライマリ・ヘルス・ケア(PHC)の現場からのリサーチ・クエスチョンに答える臨床研究にもっとチャレンジしてほしいです。HCFMの地域を基盤とした診療・教育拠点は、もう全国に多数あります。それらのネットワークでデータベースを構築して(PBRN; practice-based research network)、PHCの診療や教育の改善に資する研究エビデンスを生み出してほしいと願っています。ここでも世界の家庭医との交流が助けになります。
日本全体で見ると、家庭医・総合診療医の現状には構造的な課題がまだ数多くあります。特に、関係するステークホルダーのほとんどが、既得権益を守ることを優先し、「変化」を嫌っていることが憂慮されます。
そうした抵抗に打ち勝って日本にPHCを本格的に導入するには、相当高レベルでの政治的英断が必要です。その英断を引き出すために私たち家庭医にできることは何か。それは、健康アウトカムや費用対効果を含むPHCの質評価を継続して実施して、そこからの研究エビデンスを示すことです。

最後に、家庭医療を志す皆さんへ、ひとつ言葉を贈りたいと思います。

「困難だからやろうとしないのではない。やろうとしないから困難なのだ」

これは、古代ローマの哲学者であり詩人でもあったルキウス・アンナエウス・セネカの言葉です。振り返れば、この30年余り、私自身もこの言葉を行動原理の一つとして歩んできました。
この言葉から私が思い浮かべるのは、9世紀に唐へ渡って真言密教を授かった空海や、16世紀にローマを目指す長い旅を続けてヨーロッパ文化を学んだ天正遣欧使節の少年たちです。もちろん、彼らが経験した困難と私の経験を比べることはできません。でも、日本になかった家庭医療学を学び、それを社会に広げたいと願って家庭医を育成してきた。その行動の根っこには、彼らと似たような覚悟があったと感じています。
人生の中で、選択を迫られることは幾度もあるでしょう。そのときに「困難かどうか」や「可能かどうか」ではなく、それが「本当にやりたいことか」、そして「人のためになることか」を基準に行動してみる。そうすると、困難の先に、思いもしなかった新しい景色が広がっているはずです。

これからも、北海道家庭医療学センターに関わる皆さんの活躍を、心から楽しみにしています。

謝辞:
インタビューを担当していただいた齋藤隆幸氏、長谷川圭介氏、宮下正寛氏、および北海道家庭医療学センター事務局、特に吉川彩香氏に感謝します。撮影場所を提供していただいた公益財団法人東洋文庫の杉浦康之氏、安田奈穂子氏にも謝意を表します。どうもありがとうございました。

注釈:

  1. Canadian Family Physician (1987) Dec:33:2751-4.
  2. 現在は「家庭医療学の4つの原理」と呼ばれている
    https://www.cfpc.ca/en/about-us/vision-mission-principles
  3. 葛西・草場訳『マクウィニー家庭医療学』(2013, 2015)は第3版
  4. ドクターズマガジン(2018) 10月号 4-11.
  5. 葛西監訳『患者中心の医療の方法』(2021)は第3版
  6. 『家庭医の日常』(2024)2月23日
    https://wedge.ismedia.jp/articles/-/33043
  7. MMP (1996) 8月号 4-7.

撮影協力:公益財団法人東洋文庫 東洋文庫ミュージアム
https://toyo-bunko.or.jp/

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